アーカイブ | 4月, 2015

左ポケットはゴミで一杯

6 4月

スタジオ量子力学代表のandruです。

6日は昨年亡くなった母の月命日です。
もう5ヶ月も経つのに未だ悲しみ癒えないので、気持ちを整理する意味で少し書き綴ってみたいと思います。

人間の行動には必ず理由があります。
三つ子の魂百までという諺が有りますが、特に幼い頃に植えつけられた習慣は大人になってもなかなか消えないものです。

例えば、私の左ポケットはゴミで一杯です。

幼稚園に上がる前3~4歳くらいの頃だったと思います。
母親と道を歩いていて、鼻をかんだちり紙を道傍に捨てようとしたことがあります。
母に似て私は鼻が悪く、しょちゅう鼻炎を起こしていたのです。

その時、手酷く怒られました。

「そういう塵屑はポケットに仕舞っておいて、家に帰ってからゴミ箱に捨てなさい!」

ところが家に帰る頃にはポケットのことはすっかり忘れており、意識して捨てないと私の左ポケットには何日もゴミ屑が入ったままだったりします。

東京に出たあともゴミのポイ捨ては1度もしたことがありません。
道端に塵屑を捨てると母に怒られそうな感じがして、出来なくなって仕舞ったのです。

母は言いました。

「1つしか無い物を2人で分ける時は、半分に切って少しこちらのほうが小さいかなと思う方を取れば、問題は起きません。」

子供の頃これを教わった時には、母は天才か!と感嘆したものです。
全世界の人がこれを行えば、世の中はもっと平和になるに違いありません。

或る時、1つの苺のショートケーキを妹と半分に分けて食べる事がありました。
ケーキもイチゴも半分に切って、小さいと思う方を取りました。
その時まで私は、大事な美味しい部分は最後に食べることにしていたのですが、あっと言う間に全部食べ終えた幼い妹がもっと欲しいと泣き出し始めました。

「お前、お兄ちゃんなんだから、妹に残りをあげなさい。」

と言って、理不尽にも残りの私のケーキを妹に与えて仕舞いました。
大事に残しておいた【苺ごと】です。
母に言われた事が全て正解に繋がるとは限らないのです。
これに懲りた私は、一番大事なものは必ず先に食べるようになりました。

或る時、寿司屋の出前が1時間以上も予定より遅れ、お客さんが帰る間際に寿司が届いた事がありました。

「(お金を惜しんでいると思われないよう)きちんと支払いを済ませてから文句を言うのですよ。」

お客さんが帰ればその分まで寿司を食べられると思っていた小学生の私は、自分の浅ましさを深く恥じました。
そして何か店員さんに小言を言う時は、必ず支払いを済ませてから言うようになりました。

或る日の入浴中、見慣れない緑色の石鹸が風呂場に置いてあるのに気が付きました。
見るからに怪しいその石鹸を、私は何の気なしに股間に塗りつけ、激痛に苦しみました。

「お風呂場の緑の石鹸は使っちゃ駄目って、お母さん言わなかったっけ?」

それは母の水虫用の劇薬石鹸だったのです。
数日引かない酷い局所の腫れに懲りた私は、入浴時は必ず【左腕】から洗うようになりました。
左腕なら皮膚に何か問題が起きても耐えられますし、直ぐに異常にも気付くからです。

或る日の夕方、予告なしにガス器具の点検の人がやって来たことが有りました。
たまたま小学4年生だった私しか家に居らず、台所が物凄く散らかっていたのですけれど、点検の人を台所に通しました。
帰ってきた母にその事を報告すると、

「散らかった台所になんで人を通すの!外聞悪い。」

と、酷く叱られました。
ガス器具の点検なのだから台所に通すのは当たり前で、別に悪いことをしたとは思っていなかった私は、理不尽に思いながらも「ごめんなさい」と謝りました。

その日の夜の事です。
子供部屋に一人で居た私の元に母がやって来ました。

「さっき叱ったのは、お母さんが間違っていた。お前の判断は正しかった。」

と言ってくれたのです。
小学校の教諭である母が10歳の息子に素直に自分の非を認め、判断を支持してくれた。
とても嬉しく思いました。
子供ではなく1人の人格として認めてくれ、下した判断を正しいと言ってくれたからです。
私の自我が目覚めたのはこの瞬間だったのかも知れません。

身に美しいと書いて躾という言葉があります。

昨年末2014年11月06日に母が亡くなった時、火葬場の都合で通夜・葬儀告別式まで何日か明くことになり、エンバーミングという化粧・防腐処置を施して貰いました。

実家からの出棺の前、母の遺体の傍で、どうせ燃やして灰になるのだから髪を一房形見として切っておくのはどうだろう、と考えました。
しかし、せっかく綺麗に化粧された髪に鋏を入れるのは死者への冒涜だろうと直ぐに考えを改めました。

考えてみれば、この身体のDNAの半分は既に母の形見です。
そして子供の頃から躾られ、多少はまともになった私の行動理由も立派な形見の一つです。

だから私は全然美しい行為では無いですけど【左のポケットをゴミで一杯】にして、亡き母の躾を守るのです。

忘れずにゴミ箱に捨てれば良いだけの話なのですが、うっかり物忘れするのも母から受け次いだ性質なので、これも形見なのかも知れません。(笑)